今国府
【いまごう】

旧国名:大和
富雄川支流岡崎川上流域に位置する。平安期に大和国府が所在したことにちなむか(権記長保2年5月8日条,五郡神社記所引多神宮注進状裏書)。周辺には御所垣内・蔵垣内・中台・舞台・大道・殿御門など国府関係と思われる字が残る。大和国府の所在地については,当初掖上に設置され,この葛上国府は藤原京期まで存続,平城遷都にともない藤原京の南西域に移転,軽国府と称され11世紀初頭まで存続した。しかし国衙と興福寺の対立が激化したことにより国府は平群(へぐり)郡に移転し,高市郡の古国府に対して今(新)国府と称されたとする説がある。
【今国府(中世)】 鎌倉期から見える地名。
【今国府村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【今国府(近代)】 明治22年~昭和30年の大字名。
【今国府町(近代)】 昭和30年~現在の大和郡山市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7165522 |





