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大野寺
【おおのでら】


宇陀郡室生村大野にある寺。真言宗。山号は楊柳山。本尊は弥勒菩薩。本堂・鐘楼・庫裏・土蔵などがある。室生寺の西の大門といわれ,その末寺である。堂舎は明治33年12月の大火でほとんど焼失,現存建物はその後再興された。本堂は桁行3間半・梁行4間半の入母屋造本瓦葺,廊下で庫裏座敷につながっている。本尊弥勒菩薩立像は明治33年の大火の際搬出されたが,光背の一部などが損傷している。地蔵菩薩立像(国重文)は,身代り地蔵といい鎌倉期の秀作で,このほか十一面観音・毘沙門天・不動明王・弘法大師・興教大師など多くの仏像が安置されているが,いずれも火災による損傷がある。宝物に鎌倉期から室町期にかけて書写された大般若経600巻のうち360巻がある。ほかに竹製の華籠8枚が残るが,もとは18枚あって石仏供養に用いられたものである。大野寺で著名なのは,宇陀川の対岸の大岩壁に刻まれた弥勒如来立像である。寺の境内に拝堂が設けられている。春の枝垂桜,秋の紅葉の頃は人出が多い。大野寺石仏は京都府の笠置山の弥勒石仏を模して線刻されたものといい,岩壁に高さ13.8mの挙身光壺形光背を彫りくぼめ,中に仏身高さ11.5mの弥勒如来立像を刻んだ雄大なもので,国史跡に指定されている。石工は東大寺大仏殿の鎌倉期復興のとき来日した宋人石工たちと考えられている。寺蔵の万治2年の石仏縁起や興福寺別当次第によれば,石仏は承元元年後鳥羽上皇の発願により興福寺の雅縁大僧正が棟梁となり造立されたもので,同3年3月7日上皇御幸のもとに落慶供養が行われ,宸筆を胎内に納めたという。大正5年県の調査の際,石仏の胸部と腹部中心に石蓋があることが判明,内部から小さい巻子らしいものが検出された。なお石仏に向かって左下方に種子の尊勝曼荼羅が陰刻されている。石仏と同時期のものである。大野寺の創立は,寺伝では白鳳9年に役小角が開創し,天長元年弘法大師が室生山を開く前に,ここに一堂を建立して慈尊院弥勒寺と称したという。現在寺は真言宗室生寺派に属するが,以前は新義真言宗豊山派に属していた。建造物は元禄13年の宇陀川の大氾濫や再三の火災によって被害をうけたことが寺蔵の由緒書に詳しい。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7165842