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押熊
【おしくま】


旧国名:大和

秋篠川支流押熊川流域に位置する。地名の由来は,県の最北端にあるところから生まれたという。すなわちクマは曲,もしくは隈の義で,いずれも隅という場所を表したものと説明されている。仲哀天皇皇子に忍熊王が見える(古事記仲哀段・仲哀紀2年正月甲子条)。神功紀元年2月条によれば,新羅遠征後,神功皇后が仲哀天皇の喪を収めて海路から帰京しつつあった時,麛坂・忍熊の2王は,天皇の崩御と皇后の西征,新皇子の誕生を聞いて,幼主に皇位を奪われるのを恐れ,皇后を待ち伏せたが敗れたとある。当地にある押熊皇子神社は忍熊皇子の墓と伝えられる。当地で6基の窯跡が発見された。
忍熊里(古代)】 奈良期から見える条里の里名。
忍熊(中世)】 鎌倉期から見える地名。
押熊村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
押熊(近代)】 明治22年~昭和26年の平城村の大字名。
押熊町(近代)】 昭和26年~現在の奈良市の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7165946