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小東荘
【こひがしのしょう】


旧国名:大和

(古代~中世)平安期から見える荘園名。広瀬郡北郷のうち。①小東荘。東大寺雑役免(香菜免)荘園。寛弘7年8月22日付東大寺牒(東大寺要録6封戸水田章8)に「広瀬郡……小東庄」とあり,大和国衙から防河夫役・臨時雑役が当荘に賦課された件について香菜免荘司らが寺家に訴えている。②小東荘。東大寺白米免荘園。治暦2年小東荘大田犬丸検注帳(東大寺文書/平遺1014)に「小東御庄犬(大)田犬丸負田」とある。国衙領の名である大田犬丸名が東大寺白米免田に充当されることによって同寺領が荘園化したもの。香菜免小東荘との関係は不明。大田犬丸名は永承元年大田犬丸負田結解(同前/同前639)に「大田犬丸負田」とあるのが初見で,広瀬郡北郷12条2長倉里,13条2名成里・3里,14条3里・4里,15条4里にわたってほぼ一円的に分布した。現在の河合町川合から広陵町沢にかけての地域にあたる。毎年の田積は10町内外であるが,東方に大和川支流曽我川を控えながら,平安期にはこれを利用できず,しばしば干損を被っている。天喜2年頃に国衙から東大寺に給付する大仏供料白米35石5斗(日別1斗)を大仏供白米免田36町で支給することとなり,免田7町を毎年大田犬丸名の負田から選ぶようにされた。康平7年大田犬丸名結解(同前/同前993)に「東大寺大仏供御庄 大田犬丸負田……已上七町 募申東大寺大仏供白米免田七町」とある。ついで承保3年頃に同地の大仏供白米免田は11町に増加,坪付も固定化されて,承保3年大田犬丸負田検田帳(内閣文庫所蔵雑古文書/同前1138)には「大田犬丸負田……除田十二町六段百廿歩 東大寺大仏供白米皆免田十一町〈卅六町内〉」と見える。小東荘号はこれ以降徐々に使用されるようになり,平安後期に定着した。平安後期には大田犬丸名(小東荘)は尼善妙・山村吉則・永禅(山本入寺)など東大寺とも関係の深い薬所舞人山村氏一族や東大寺・興福寺などの寺僧私領から構成されており,保延年間には尼善妙が春日社に寄進した私領田の領有をめぐって東大寺と同社が相論を繰り返している。また,山村氏族の右近衛府生時高は荘司に任じられて活動した(東大寺文書/平遺1460・2394,保阪潤治氏所蔵東大寺文書/同前2507,楢の朽葉/同前5005など)。天養元年には荘園として正式の立券を遂げ,荘田畠40町150歩うち水田20町1段60歩(東大寺文書/平遺2531,東大寺文書/鎌遺518)。建保2年5月日付東大寺領諸荘田数所当等注進状(東大寺続要録寺領章)にも「大仏御仏聖白米免三十六町……小東庄〈十一町〉勤百十ケ日……日別白米一斗三升所弁済也,而近来損亡之時,過半分難済也」と記す。鎌倉期には荘務は不安定で,弘安8年8月日付東大寺注進状案(東大寺文書/鎌遺15650)にも顛倒所領の1つに「小東庄」が掲げられているし,嘉元4年には近隣の河井村住人行康という者が「小東庄年貢」を抑留したとして公家に訴えられている(東南院文書/鎌遺22550)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7166940