関屋
【せきや】

旧国名:大和
金剛山地東麓,水越川の流域に位置する。当地を通る街道は昔から水越街道と呼ばれ,修験道を行ずる者達が往来した。古関があったところで地名はこれによったものと考えられる。鬼ケ城古墳は横穴式石室をもつ。字城山の丘陵稜線上に円墳,字倉谷と字落ノ木・字西久保にも円墳群がある。字城山ほかに鬼ケ城跡があり,また国民吐田氏の吐田城跡が葛城山の南東麓の丘陵上にある。同山中腹の金剛登山道の傍らにおたわ地蔵(葛城第22経塚)がある。字大原に式内社葛木水分神社がある。水越峠を挟んで大阪側の千早赤阪村水分にも式内社建水分神社がある。水の乏しい両地域で古くから峠の水が重要視されてきた。
【関屋村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【関屋(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7167648 |





