槻本荘
【つきもとのしょう】

旧国名:大和
(古代~中世)平安期~室町期に見える荘園名。高市郡のうち。①槻本荘。興福寺雑役免(進官免)荘園。興福寺七堂灯油料所。延久2年の雑役免帳に「槻本庄田畠七町 灯油免田也」とある。荘田はすべて興福寺灯油免田からなる。荘田は高市郡21条2里・22条2里・35条1・2里・37条2里にわたる合計25か坪に散在・分布した。この坪付は現在の橿原(かしはら)市小槻町・大垣町,高取町森・薩摩・羽内のうちにあたる。鎌倉期の承久4年正月18日付北条義時下知状(春日大社文書1)によれば,興福寺衆徒らの訴えによって,鎌倉幕府が御家人国分次郎の当荘への乱行を止めている。また弘安年間には当荘預所重舜が,荘園の券文を入質,年貢・雑物を着服した罪で訴えられた(兼仲卿記弘安6年秋冬巻裏文書/鎌遺15045)。下って室町期,文明14年の興福寺七堂灯油荘々注文(寺社雑事記文明14年10月4日条)には「越智郷 槻本庄 本油一石一斗七升〈去年六斗納之〉,雑公事九百文在之,寺侍給之」と見える。②槻本荘。一乗院門跡領。至徳3年6月9日付一乗院良昭維摩会講師段米催状(岡本文書)に「槻本〈七丁一反卅六歩〉」とあり,門跡の段米を賦課された。室町後期の越智郷段銭帳(春日大社文書4)には「槻本庄〈七町一反半,近年五町七段小〉」とある。当時国民越智氏の勢力下にあった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7168081 |





