中川寺跡
【なかがわでらあと】

奈良市中ノ川町の西北にある寺跡。寺跡はかなり広い地域にわたり,小字名に東福・薬師・地蔵院・清浄院・弥勒院などが残る。その範囲は山林を含めると数haに及ぶ。草創は藤原顕実の子実範上人が天永2年に唐招提寺を訪れ,律学の研究に励み,ついに景勝の地中ノ川に伽藍を建立,成身院と称した。これが中川寺である(元亨釈書)。鎌倉期南都の戒律復興の中核となった中川寺は,根本成身院と呼ばれた。実範上人はその後山城棚倉山の光明寺に入り,天養元年9月10日同寺で入寂した。中世以降中川寺は興福寺末となるが,文明13年7月21日山内不和が原因で火災となり,本堂を残しただけですべてを焼失した(寺社雑事記)。同18年4月再興の勧進猿楽が行われたことが「寺社雑事記」に見えるが,その結果は伝えられていない。その後次第に衰微し,明治維新の頃にはほとんど破壊されてしまった。現在寺跡には鎌倉期の石造大五輪塔が建っている。花崗岩製,高さ3m余で,羽目石に格狭間を造った壇上積み基壇の上に置かれ,地輪の下には複弁の反花座を設ける。成身院梵鐘(国重文,平安期)は兵庫県神戸市の徳照寺,中川寺塔頭十輪院持仏堂の旧像木造毘沙門天立像(国重文,平安期)は東京都の個人蔵となって伝えられている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7168364 |





