引田郷
【ひきたのごう】
旧国名:大和
古くは曳田とも書いた。フカタ・ヒキタは泓(ふけ)田(湿田)の義。大和川(初瀬川)上流東側の東田・大田を中心とする地域には弥生遺跡があり,多量の遺物が湿地から出土する。新庄町の疋田,奈良市の疋田も同義か(桜井市史)。なお式内社秉田神社が北緯34°32′の線上にあるところから,太陽祭祀に関係した日置氏にちなむとする説もある。
【辟田郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【引田郷(中世)】 室町期から見える郷名。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7169052 |