二見五條藩
【ふたみごじょうはん】

旧国名:大和
(近世)江戸期の藩名。宇智郡二見五條に陣屋を置いた外様極小藩。「五條二見藩」とも称した。慶長13年伊賀国上野藩主の筒井定次が改易されたが,その重臣松倉重政は関ケ原の戦の軍功をもって新規に1万石の大名に取り立てられて当藩が成立した。なお重政の父重信(右近)は大和郡山城主筒井順慶の家老で,天正13年順慶の猶子定次に随従,伊賀国上野に転じた。重政は父重信の没後伊賀国梁瀬城主となり,関ケ原の戦で活躍した。重政が筒井家を離れたのは,主人定次の失態をみかぎったためとも,藩の内訌で定次が改易されたためともいう。藩領は宇智郡7,000石・高市郡2,000石・十市郡1,000石の合計1万石。陣屋は南北朝期の二見氏の城跡を利用し,城の東と北は吉野川の断崖,南と西に水濠をめぐらせ北と西に土塁を設け,二見村と五條村の間に新町を形成して商人らの保護政策をとった。慶長19年大坂冬の陣,翌元和元年の大坂夏の陣で大活躍,翌2年肥前国日野江(島原)城に国替されたので廃藩となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7169258 |