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三倉堂
【みくらどう】


旧国名:大和

甘田川右岸に位置する。北部は長谷街道(横大路)に面する。当地の古池・新池の両遺跡は古墳時代後期の群集墳。三倉堂は「御蔵部」と同義で,古代職業部にちなむ地名か。後世,部制地名は故意に改字する例が多く,当地もその1例であろう。御蔵部は大和王権の倉について出納・管理を行った部民とされる。履中紀6年正月辛亥条には「始めて蔵職を建つ。因りて蔵部を定む」とある。旧大字三倉堂域には雛倉・三倉堂・大三倉堂・大殿などの字が残っていた。なお「大和志」は安寧天皇の「片塩浮孔宮」(安寧紀2年条),「片塩浮穴宮」(古事記安寧段)を旧大字三倉堂域に比定する。ただし安寧天皇とその宮の実在は疑問とされる。
御蔵戸(中世)】 鎌倉期から見える地名。
三倉堂村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
三倉堂(近代)】 明治22年~昭和55年の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7169546