八島
【やしま】

旧国名:大和
八嶋とも書く。佐保川支流地蔵院川上流域の丘陵台地に位置する。地名は,平地の中で比較的高くなった所を島にたとえたものか。丘陵や台地状の地形を海に浮かぶ島とみなしたことによる。ヤは美称。「やまとなる大島の嶺」(万葉集91)と同様の発想である。またこの地に今も残る八つ石の伝説によるともされている。桓武天皇の弟で淡路に流された早良親王が,その死に際して石を9つ投げ,それらの石が落ちたところに葬ってほしいと願った。その中の8つが今の八島で見つけられ,親王(のち崇道天皇と追号された)の山陵がここに営まれた。崇道天皇陵前にあるこの八つ石が交通の妨げになるということで,これまでにこの石を取り除こうとしたが,そのたびに工事に関わった人が死んだり,病で倒れたりしたという(八島町資料集ほか)。先述の早良親王(崇道天皇)陵といわれる八島陵がある。御陵前の道路には封土もない横穴式古墳の石室が破壊されたように,大型の天井石が露出している。これが伝説にいう「八つ石」である。
【八島(古代)】 大和期から見える地名。
【八島郷(中世)】 平安末期から見える郷名。
【八島村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【八島(近代)】 明治22年~昭和26年の東市村の大字名。
【八島町(近代)】 昭和26年~現在の奈良市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7169881 |





