内ノ川
【うちのかわ】
旧国名:紀伊
富田(とんだ)川下流左岸の沖積地に位置する。地名は,富田川の支流内ノ川による(続風土記)。南北朝期の蛇喰城跡が地内山中にある。弘和3年8月28日の行氏書状に「保呂内河間」と見えるが,本文書は特に検討を要する(小山秀太郎旧蔵文書/東大史料影写本)。また「続風土記」は,文明5年に内川修理大夫という者が京都より当地に稲荷社を勧請したと伝えている。
【内ノ川村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【内ノ川(近代)】 明治22年~現在の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7170584 |