相賀
【おうが】

旧国名:紀伊
「万葉集」巻9の雑歌の中に「大宝元年辛丑冬十月,太上天皇(持統天皇)・大行天皇(文武天皇)の紀伊国に幸しし時の歌十三首」の1つとして「倭には聞えゆかぬか大我野の竹葉刈り敷き廬せりとは」と見える。当地は南海道の道中にあり,かなり広範囲な地域を指すものと考えられ,「名所図会」には「相賀荘二十六箇村の内,市脇・東家・寺脇三箇村の田地の字に相賀台といふ広野あり。これ古の大我野なるべし」とあり,市脇から東家にかけての緩傾斜地を中心とする一帯に比定される。
【相賀村(古代)】 平安期に見える村名。
【相賀荘(古代~中世)】 平安期~戦国期に見える荘園名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7170672 |





