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大川村
【おおかわむら】


旧国名:紀伊

(近世)江戸期の村名。日高郡のうち。和歌山藩田辺領与力知。南部(みなべ)組に所属。大川村は5か村の総称で,南部川上流に連なる下大橋村・大橋村・名之内村と,南部川支流木ノ川沿いの木之川村,同軽井川沿いの軽井川村からなる。村高は慶長検地高目録で395石余,ほかに小物成4石余,「天保郷帳」417石余。宝暦10年の大指出帳(日高史料)は5か村についてそれぞれ次のように記している。下大橋の東西43町・南北15町,高は75石余うち田畑荒川成引高8石余,高には茶20斤余・高1石余と紙木31束・高6斗余が含まれ,反別は10町1反余うち田5町3反余・畑3町7反余・茶屋敷地1反余・引高9反余,ほかに新田が高6斗余・反別1反余,家数16軒・人数96,牛7,井堰14。大橋の東西7町余・南北12町,高は61石余うち田畑荒川成・永荒の引高15石余,高は茶23斤余・高1石余,紙木29束・高5斗余,桑2束・高2升が含まれ,反別は9町2反余うち田2町4反余・畑4町9反余・茶屋敷地1反余・引高1町7反余,ほかに新田が高6斗余・反別1反余,名之内の谷々に当村分の本田畑・新田が9か所に分かれて入り込み,その高4石余・反別5反余,また,とち谷に当村入込みの山1か所,家数13軒・人数69,牛6,井堰4。名之内の東西60町・南北15町,高は71石余うち田畑荒川成・永荒の引高15石余,高には茶15斤・高9斗,紙木42束・高8斗余,桑2束・高2升が含まれ,反別は10町5反余うち田4町4反余・畑4町1反余・茶屋敷地1反余・引高1町8反余,ほかに新田が高9斗余・反別1反余,大橋の小しうけ坪の内に当村の本田が入り込み,その高4斗余・反別6畝余,家数18軒・人数132,牛8,池2,井堰12。木之川の東西11町余・南北80町,高は68石余うち田畑荒川成・永荒の引高9石余,高には茶40斤・高2石余と紙木14束・高2斗余が含まれ,反別は9町8反余うち田4町7反余・畑3町8反余・茶屋敷地1反余・引高1町余,ほかに新田が高8石余・反別1町2反余,家数24軒・人数158,牛11,井堰7。軽井川の東西8町・南北18町,高は125石余うち田畑荒川成引高25石余,ほかに山高1石余,高には茶16斤余・高1石余,紙木4束・高8升,桑1束・高1升が含まれ,反別は15町余うち田7町9反余・畑4町余・茶屋敷地4反余・引高2町5反余,ほかに新田が高1石余・反別4反,家数32軒・人数217,牛13,井堰18,地内には高札場があった。宝暦10年の大指出帳による高・家数・人数の5か村合計は402石余・103軒・672人,5か村ともに農間余業に日用・山稼ぎを行う者がいたという。「続風土記」も「大川郷分村」としてこの5か村を記しているが,うち木之川村に家数・人数などの総計を掲げ,104軒・1,126人。下大橋には小名日裏・棒免幾・波世・芝などがあり,波世に八幡宮,棒免幾に観音堂がある。大橋は,南部川の両岸,大屋垣内・於布地垣内に集落が分かれ,大屋垣内に八幡宮・浄土宗鎮西派智光山万福寺がある。名之内には小名中平・松平・早稲田・箱木・鍛冶屋・寺谷などがあり,鍛冶屋に名之内・下大橋・大橋の氏神天宝明神社がある。同社は高野(たかの)村天宝明神社より勧請したという。木之川には南部川筋に小名宇呂・布須美・長滝が,木ノ川筋に小名大野垣内・西木原があり,大野に産土神天宝明神社・観音堂がある。同社も高野村天宝明神社より勧請という。軽井川は集落が石倉・川口・谷と分かれ,川口に同じく高野村天宝明神社より勧請という産土神天宝明神社や臨済宗妙心寺派天養山本誓寺がある。江戸末期に清川村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7170716