北塩屋
【きたしおや】

旧国名:紀伊
日高川河口左岸に位置する。塩屋の地名は,かつて塩焼きの地であったことに由来するという(続風土記)。地内鍋倉山に,中村氏のよった城跡がある。なお地内の天田については甘田とも見え,建暦2年2月日の後鳥羽院庁下文に,「園宝郷壱処事……四至……〈南限 甘田・亀石・富島〉」とあり,園宝郷の南に位置していたことがわかる(熊野速玉)。また興国4年1月13日から念仏の勧化を始め,その時入信した人物の名前を記し,文明5年6月8日に写した西円寺名帳に,「〈アマタノ〉マコ二郎」とあり,当地に初期真宗の門徒がいたことを知り得る(西円寺文書/県史中世2)。
【北塩屋浦(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【北塩屋(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7171210 |





