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新鍛治町
【しんかじまち】


旧国名:紀伊

(近世)江戸期~明治22年の町名。江戸期は新宮城下地方六町の1つ,明治8年からは新宮二十五か町村の1つとなる。熊野(新宮)川河口右岸で,城下を南北に通る往還の両側に位置する。町名は,寛文8年の大火により,元鍛治町の鍛冶職が移り住んだことによるという(熊野年代記)。和歌山藩新宮領。元和5年の水野氏入封後,城下町割が行われ,当町も城下のうち地方六町の1つとして成立したという(新宮市史)。「続風土記」には村方支配十一町の1つとして当町名が見える。新宮鍛冶の起源は明らかではないが,牟婁(むろ)郡(三重県南牟婁郡)の丹念山にこもって修行した近藤兵衛という天狗鍛冶の流れをくむと伝えられ,天狗吉久の銘をうっていた(同前)。寛政年間32軒の鍛冶仲間が新宮鍛冶株をもち,安政6年の職旦那控帳によれば,職旦那というものを設け,自由に得意を取ることを禁止するなどの仲間議定があった(同前)。製品は農具・釘ばかりでなく,第9代領主水野忠央のころには鉄砲鋳造所の萩野で大砲を製造したと伝え,また幕末から明治初年にかけて軍艦第一・第二丹鶴丸も建造したと伝える(同前)。明治4年新宮県を経て和歌山県に所属。同6年には戸数62,男134・女126。同8年新宮二十五か町村の1つとなり,総代1名を置く(新宮町郷土誌)。同22年新宮町新宮の一部となる。なお当地名は通称名として残り,その後,同34年新宮第三尋常小学校校舎を新築して開校,横町以南の生徒を通学させた。大正年間には蚕糸会社ができ,昭和期の初めまで所在した。現在は国道42号筋が商店街,大部分は住宅地となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7172033