100辞書・辞典一括検索

JLogos

28

西村
【にしむら】


旧国名:紀伊

(近世)江戸期~明治12年の村名。名草(なぐさ)郡のうち。紀ノ川下流右岸,洪積世の河岸段丘上に位置する。村名は同荘の西方に位置することによる(続風土記)。和歌山藩領知行所。山口組に所属。岡崎村から分かれた4か村の1つ。村高は,慶長検地高目録で636石余,ほかに小物成1升余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも同高。天和2年の名草郡山口組地方事(土屋家文書)によれば,本高636石余,田方は反別34町余・高555石余,畑方は反別5町余・高81石余,池数は1か所,家数62軒,人数224うち男114・女110,牛馬28。「続風土記」では家数54軒・人数191。同書によれば,当村の旧名は坂上村と伝え,今も田地の字名に坂上・坂のうちがあるという。神社は妙見社・蔵王権現社・弁財天社。氏神は谷村の山王権現・春日明神社という。寺院は,浄土真宗本願寺派覚善寺,浄土宗西山派斜陽山西方寺。文化5年の諸色覚帳写(保田家文書/県史近世3)によれば,当村の水利は六ケ井懸りで,ほかに当村と黒谷村・藤田村3か村立会いのかしこ池もあった。口五郡百姓騒動実録(田中家文書/同前)によれば,大旱魃の文政6年各地で水争いが起きたが,6月1日六ケ井関筋でも打毀が発生,これらはおのおの合流して大規模な百姓一揆へ進展し,大庄屋・各村役人・頭取などが大量に処罰されたが,当村にも追放処分者が出た。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数51,男119・女100。同12年山口西村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7172940