100辞書・辞典一括検索

JLogos

40

西和佐村
【にしわさむら】


(近代)明治22年~昭和29年の自治体名。はじめ名草(なぐさ)郡,明治29年からは海草郡に所属。紀ノ川下流左岸の沖積平野に位置し,竜門山脈の最西端である和佐山一帯の峰を南限とする。岩橋(いわせ)・出島・栗栖(くるす)の3か村および松島村の飛地が合併して成立。松島村を除く旧村名を継承した3大字を編成。役場は栗栖に設置(海草郡誌)。村名は中世の荘園名である和佐荘にちなみ,西を冠した。明治24年には戸数511,男1,242・女1,410,学校3,小船1。同42年の戸数449・人口2,583。世帯数・人口は大正9年515・2,597,昭和10年575・2,857,同25年710・3,500。「海草郡誌」によれば総面積418町余,うち田286町余(68%),畑19町余。村内は南西部の前山(花山)を除き平地が多く,灌漑用水は宮井川・四箇井・新四箇井と前山山麓の宮井溜池(周囲約550m)を利用。明治38年岩橋字小岩谷に中筋牧場開設(和佐村誌)。同43年,岩橋小学校と栗栖小学校とが合併し,西和佐尋常高等小学校創立。大正5年,和歌山県師範学校代用付属小学校設置,昭和6年まで所在。大正5年,村立農業補習学校開設(海草郡誌)。同8年,代用付属校に実業補習教員養成所設置(那賀郡誌)。同9年には村内に医師2人・産婆4人(海草郡誌),昭和29年医師3人・助産婦2人がおり,診療所4か所が設置されていた(市町村勢要覧)。明治31年紀和鉄道(国鉄和歌山線)開通,田井ノ瀬駅設置。大正9年ごろの県道は,和歌山奈良線,宮田井ノ瀬停車場線,郡道は,宮前西和佐線,田井ノ瀬停車場宇田森線(海草郡誌)。明治34年岩橋に田辺藩主安藤帯刀の碑が建立された。昭和30年1月1日和歌山市の一部となり,村制時の3大字は同市の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7172952