弘西
【ひろにし】

旧国名:紀伊
紀ノ川下流右岸,洪積世の河岸段丘上に位置する。当地はもと西村と称し,慶長検地帳で弘西村と記されたが,弘西の地名は旧平田荘最西に位置し周辺一帯が一面の広野であったことに由来するという(続風土記)。和泉山脈から南へ派生する支脈上に高地性集落跡の橘谷遺跡がある。出土する土器は弥生時代後期前半のものに限られるが,昭和34年同遺跡内から高さ47cmの扁平鈕式六区画袈裟襷文銅鐸を出土した。また和泉山脈から派生する標高98m前後の尾根上に八王子山古墳群がある。前方後円墳3基・円墳10基からなり,紀ノ川下流域初期古墳の様相を示す副葬品も出土。
【弘西村(中世)】 戦国期に見える村名。
【弘西村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【弘西(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7173336 |





