100辞書・辞典一括検索

JLogos

31

湯川温泉
【ゆかわおんせん】


東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦町の国鉄湯川駅から約1kmの距離にあり,勝浦温泉の南西約2km,山1つ越えた所に位置する温泉。単純硫黄泉。国鉄紀勢本線の車窓からは見えない。勝浦温泉よりも歴史は古く,那智山の開創とともに開湯と伝える。「続風土記」に「湯の川村,或は湯本村ともいう。大辺地の往還なり,村中に温泉あり,故に此谷を湯ノ川という,入湯の旅客常に寓するを以て家居宜し」と記述されている。熊野灘沿岸に住む人々の那智山詣では,この大辺路(おおへち)を通り,湯川温泉は庶民の那智山参りの客の湯垢離場として古くから知られ,また湯治客の宿として存在していた。現在の湯川温泉は,ゆかし潟と湯川川に沿って旅館街となっているが,古い時代の温泉は寺山のふもと,入江の岸辺付近にあった。入江に注ぐ湯川川の川岸に湯の花がつき,川底からは温泉ガスが泡を立てて湧出していたという。「湯川温泉記」によると弘化のころの湯治宿は10軒となっている。泉質がよく,昔からリューマチや神経痛には効能著しい湯として知られており,また,温泉地にある湯泉寺の薬師は熊野七薬師の中でも最も古く,由緒ある薬師堂として病難消滅を祈願して入湯する者も多く,この薬師への信仰につながって湯川温泉も発達してきたと考えられる。大正11年の温泉記に,大正年間に温泉成分を調査し,湯治温泉として出発したために遠近からの湯治客は激増するようになったとある。大正3年の調べでは湯治客1,975人,外より入湯日帰りの人は数知れずという繁盛ぶりである。湯川温泉には湖を思わせるような波静かな入江が山峡に入り込んできているが,これが湯川湾に連なっている。入江は湯川湾より約300m入った所から広がり,東西450m,南北約600m,周囲約2kmである。入江の口は浅くなっているが,それより中は水深が深く塩水をたたえ,海水魚がすむ。この入江は形状が瓢に似ているので一名,古くはひさご池とも呼んでいた。紀州の生んだ詩人,佐藤春夫が「なかなかに名告げざるこそゆかしけれゆかし潟ともよばば呼まし」の歌を残し,この温泉郷の入江をそれ以後ゆかし潟と呼んでいる。ゆかし潟の周辺は緑濃い山に抱かれており,春は桜に彩られた自然に恵まれた温泉である。ゆかし潟ではボート遊びや魚釣り,近くの湯川湾では夏場海水浴客でにぎわう。現在旅館数10軒,収客人員550名である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7173943