内海
【うつみ】

旧国名:因幡
湖山池の西北,通称鳥取西砂丘の西端に位置する。北は日本海に面し,南は内海谷(御熊谷)の谷口にあたる。当地には,記紀に記される「稲羽の素菟(はくと)」神話が伝わり,近隣には神話にちなんで気多前(けたのさき)・淤岐島・高尾山・身干山・恋坂(石分坂)・水門(みなと)などの山名・地名がある。恋坂で白兎は生剥にされ,水門で塩水に洗ったという。宮山に古墳があるという(末恒村誌)。古代用明天皇の時代,5,6歳の少年であった聖徳太子に玩具を作ってあげた能曹(のそう)姫が,気多大原郷宇津美里の人とある(玉林抄・末恒村誌)。「和名抄」気多(けた)郡に大原があり,正平年間の資料と伝えられる因幡国郷保庄記に気多郡十八郷保庄のうちに「宇津見」と記されている。また,古くから伝わる民俗芸能に「はねそ」「どうねん」という手踊りがあり,近世期旧盆には近隣各村と当番日を定めて相互に集まり,「ぼんでん」ともいう踊大会をもち,青年相撲も行われ,三味線小唄・芝居なども盛んであった。
【内海村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【内海(近代)】 明治22年~昭和28年の末恒村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7174415 |





