河内
【こうち】

旧国名:因幡
千代(せんだい)川支流野坂川の源流部(河内川),毛無山南麓に位置する。北西部に鷲峰(じゆうぼう)山,南部に高山がある。地内は谷が細長く続き,標高は180m,高所(安蔵)では300m。地名の由来は,山に囲まれた谷あいにあることにちなむという。現在の気高(けたか)郡鹿野町に河内という地名があり,それと区別するため,古くから野坂の河内谷,松上谷の河内とも呼ぶ。当地の西村家の祖は,江州坂本の出身で,野坂長者本間助国が比叡山座主恵敬阿闍梨上人を招いた時,それに供奉して松上社を開き当地に住みついたという(明治小学校創立百年記念誌)。大正5年,西村家65代当主が「西村平太夫一千年記念碑」を建立した。天正年間の古城跡が蛇山(松上城山)にあり,豊臣秀吉が気多(けた)郡の鹿野城への往来上の要地として兵を置いたもので番屋跡があるという(因幡志)。
【河内村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【河内(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7175224 |





