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四十曲峠
【しじゅうまがりとうげ】


四十曲乢(だわ)・四十曲ともいう。日野郡日野町と岡山県新庄村との県境にある峠。標高770m。日野町金持(かもち)より板井原・峠根(たわね)と傾斜を増し,ここから九十九折の急坂を登り,県境の尾根にある鞍部を経て新庄に至る。ほかに,峠根の東方,標高750mの鞍部を経て新庄村二ツ橋に至る道が,旧四十曲峠路線である。峠の歴史は古く隠岐へ配流される後鳥羽上皇を豪族の家持兵衛が峠の作州側で出迎えたとか,同じ運命にあわれた後醍醐天皇が峠近くで休まれ,峠下の板井原に仮屋を造って慰めた田中将監の物語,そしてこの折賜った小袖を今に伝える村上家のことなど,多く語り継がれている。藩政期には出雲街道(地元では作州街道ともいう)が通り,松江侯の参勤交代路となってから峠は活気を呈し,大名道路として整備された。寛文年間庶民も上方・伊勢への道として利用。明治期に入ってもにぎわいは続き,山陰山陽の動脈として機能した。昭和3年国鉄伯備線の全通で峠は寂れ,第2次大戦後自動車交通の発達により,同30年には米子~勝山間を定期バスが結んだが,冬期は交通が途絶。同40年,板井原~新庄間(約10km)の改良に着手,総工費9億1,100万円をかけて標高584mの地点に延長1,863mのトンネルを掘削して,同43年12月供用開始。この四十曲トンネルは鳥取県側1,063m・岡山県側800mで,開通当時は中国地方最大のトンネルであった。中国縦貫道の開通もあって交通量は増加の一途をたどる。以来峠は忘れられ,今では車も通れぬほど荒れている。峠の途中に道標の地蔵がある。道を西にとると三坂峠を経て岡山県大佐町に至る。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7175481