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外浜街道
【そとはまかいどう】


米子市から境港市に至る美保湾よりの道路の俗称。延長約20km。米子から北へ長く延びる弓浜半島を縦断して境港に至る道は境往来と呼び,藩政末期2道が記録に表れる。文政元年の「古城跡図志下」を見ると,車尾(くずも)・上福原・下福原・上三柳(かみみつやなぎ)・下三柳・夜見(よみ)・富益・和田・大篠津・佐斐神(さいのかみ)・新屋(にいや)・竹内・福定・中野・上道(あがりみち)・境村とほぼ現在の道筋と同じ街道が形成されていた。明治初年に改修されて幅員6mの道となり,同18年主要地方道米子境線となった。享保年間までは内浜の利用が多く,外浜側は西伯耆の人々が田植後の関参りに数人ずつ通る程度であったという。しかし外浜寄りに敷設された鉄道は外浜側に活気を与え,人通りは増し,昭和17年からの美保飛行場の建設は内浜街道を分断し,人の流れは外浜に集中した。第2次大戦後,米軍の駐留,自衛隊による基地化に伴い,狭小な道路に県下一の交通量という事態が昭和43年の主要地方道米子境線,通称産業道路の開通まで続いた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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