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松保村
【まつほそん】


(近代)明治22年~昭和28年の自治体名。はじめ高草郡,明治28年からは気高(けたか)郡に所属。三山口・良田・高住・桂見・布勢・足山(たりやま)・岩吉・里仁(さとに)の8か村が合併して成立。旧村名を継承した8大字を編成。湖山池南東部に位置する。村名の由来は,当村が江戸期に南北保・松高庄・松神西郷と呼ばれた地域にあたることによるという(鳥取市七十年)。役場は里仁に設置。明治22年頃湖山池南岸を走る道路が完成,このため明治中頃まで賀露(かろ)港・鳥取市内などへの交通の主役であった湖山池の舟運の役割は減少した。湖山川の通船は1里19丁,10石舟であった(明治22年県統計書)。昭和7年には日本海航空会社が城崎~湖山池航路を開き,湖山池南岸の桂見地区に発着所を設けた。同10年には日本航空が大阪―城崎―湖山池―松江航路を開き,同12年まで続いた。災害では洪水時の野坂川の氾濫による大井手川の溢流,湖山池の水面上昇による水害がたびたびあったが,特に大正7年の洪水には村内の布勢方面は一面の湖水となり,舟で交通している(千代川史)。同14年野坂川・湖山池水害予防組合が設立され,当村も加入した。昭和2年排水改良事業が発足した。産業では,明治37年千葉県より二十世紀梨の苗木10本を県内で最も早く移入し,同42年頃より市場へ出荷,県内へも普及を図り,日本一の生産を誇る基を築いた。また,明治31年養魚場を設け,主として鯉・鰻・スッポンの養殖に努めた。大正3年鯉児100万尾,昭和10年スッポン300貫を出荷(鳥取市七十年)。昭和12年の「松保村郷土調査」によると,反別は田274町・畑53町・山林249町・原野119町・宅地4,753坪,産物は米5,140石・麦758石・桑園40町・果樹21町(うち梨16町),役肉牛135頭,養鶏2,350羽。職業別人口は農業1,668・商業27・工業22・その他96。社会教育団体の構成員は青年団98・少年団158・処女会62・婦人会289・村農会281・農業改良組合185・養蚕組合150・産業組合150・在郷軍人分会190・果樹組合27。娯楽では村芝居・活動写真・盆踊り・村民運動会などがあった。明治35年の戸数315・人口1,924。世帯数・人口は,大正10年291・1,958,昭和10年300・1,831,同25年329・2,047。昭和28年鳥取市の一部となり,村制時の8大字は同市の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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