御内谷
【みうちだに】

旧国名:伯耆
日野川の支流小松谷川の上流左岸の谷あいに位置する。東の小山の尾根筋と寺山付近に御内谷古墳群があり,小松谷川の右岸東方山麓に法城寺跡がある。また,南部の大蔵山の中腹に「天宮(てんぐう)さん」と称する巨石崇拝の遺跡がある。その付近には「ひばがいち」と呼ばれる地名があり,「古事記」の「その神さりし伊邪那美神は出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りき」の一節と結びつけられて伊弉冊尊の陵墓として崇敬された。この遺跡については明治22年国学者井口寛平,大正15年鳥居竜蔵博士・足立正県史跡調査委員ら,昭和6年文部省嘱託上田三平博士らが賀野村史跡調査会の要請によって調査に来山。特に鳥居博士は踏査の結果,この巨石遺跡はメンヒルで,周囲に玉垣のごとく散在する岩は貴重なストンサークルと激賞されたため,昭和初期まで参詣客が毎日絶えなかった。しかし,天宮遺跡は果たして伊弉冊尊の御陵墓か,古代住居の石室か,あるいは祭祀遺跡か未解明のままである(会見町誌)。
【御内谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【御内谷(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7176973 |





