喜時雨
【きじゅう】

旧国名:石見
喜住・喜汁とも書く(八重葎・万手鑑)。城山山脈の南西端にあり,津和野川と支流神田(じんで)川の合流点の北方に当たり,対岸に高田村がある。地名は平地で諸人住みやすいことから喜住と名づけたという(八重葎)。河岸平地で弥生式土器が採集され,遺物包含地の存在が認められる。中世吉見氏が城山山脈に三本松城を築造すると,ここが大手として居館が建てられたため,要害山・本門口・本門前の小地名がある。高田村とともに武士団集落も発達したと推定され,神田・祭事免・堂免の小地名は祭祀関係遺跡を示す。天文22~23年の陶晴賢の三本松城の攻略戦は喜時雨口の南湖山・陣外山・喜時雨原・本門口・幾久(いくさ)川で展開された。
【喜汁(中世)】 戦国期にみえる地名。
【喜時雨村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。
【喜時雨村(近代)】 明治22~24年の鹿足郡の村名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7178726 |





