多久
【たく】

旧国名:出雲
多久川流域の地で北は大船山,南北に細長い地形をなし,川沿いに耕地が開ける。古くは楯縫(たてぬい)郷に属し,地内の深坪・五反田の字名は条里制に由来すると推察される。「風土記」におけるこの地名の表記は,伝本はすべて「多忠」であり,「忠」は誤字の疑いが濃い。「風土記考証」は「多忌」の誤りかとし,「訂正出雲風土記」は「多久」,「風土記参究」は「多宮」に正す。この地名は,同書楯縫郡の条,神名備山の山頂の西にある石神にかかわるもので,その石神は阿遅須枳高日子(あじすきたかひこ)命の后,天御梶日女(あめのみかじひめ)命がこの村に来て生んだ多伎都比古(たぎつひこ)命の霊代で,日照りにこの神に雨乞いをすると必ず雨が降るという説話を伴っている。
【多久郷(中世)】 鎌倉期にみえる郷名。
【多久村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【多久(近代)】 明治22年~昭和29年の大字名。
【多久町(近代)】 昭和30年~現在の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7179885 |





