知夫
【ちぶ】

旧国名:隠岐
「ちぶり」ともいい,知布利・知夫利・知夫里とも書く。隠岐(おき)島前(どうぜん)の南部に位置する知夫里島で,古代から現在まで1島1村である。大字はない。地名の由来は隠岐群島の南端にあって本土との往来の場合,必ず寄港したことから,道路の神である道触神(みちぶりのかみ)を奉祀して海路の安全を祈り,沖合を航行する船がはるかに拝したことにちなんで知夫里の称が生まれたという。知夫も「ちぶ」ではなく「ちぶり」と読んでいたが,明治以降に「ちぶ」と読むようになった(隠岐島誌)。宇類美(うるみ)浦は,知夫里島の北岸に位置し,知夫村南西の方向に赤禿山(あかはげやま)がある。その中腹に宇類美坊・仁夫里(にぶり)坊と称する寺院があったと伝える。「隠州視聴合紀」に「棹し廻れば二十四町にして宇類美と云民村あり。山南の絶頂を卯辰に行く道あり,二十二町を経て二部里という山の趾に巨石多し,みな牙の如し,村老告げて曰く,昔此に蘭舎あり即ち宇類美坊という。又南にあるを仁夫里坊という,此両寺者殊に美尽せり,後醍醐天皇の皇居なりという」とある。元弘の昔,後醍醐天皇隠岐配流の節,黒木御所の行在所に赴かれる途中,しばらく仮行在所であったと伝承されている。
【知夫利荘(中世)】 鎌倉期に見える荘園名。
【知夫利村(中世)】 戦国期に見える村名。
【知夫村(近世)】 江戸期~明治37年の村名。
【知夫村(近代)】 明治37年~現在の村名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7180049 |





