浜田藩
【はまだはん】

旧国名:石見
(近世)江戸期の藩名。居城は浜田城。元和5年,伊勢松坂藩主の古田重治(外様大名)が浜田へ封ぜられ,石見国那賀(なか)・美濃(みの)・邑智(おおち)3郡のうち134か村5万442石余が石見銀山奉行竹村丹後守から引き渡されて成立。古田家は2代重恒に嗣子がなく慶安元年断絶となり,かわって翌2年譜代大名松平周防守康映が播磨(はりま)国宍粟(しそう)から5万石で入封,宝暦9年1月松平周防家第5代康福が寺社奉行に就任するにあたって,下総国古河(こが)へ転封となり,同地より譜代大名本多中務大輔忠敞がかわって入封。本多家第3代忠粛のとき(明和6年)古河を経て岡崎に移封されていた松平周防守康福が老中在任のまま浜田へ再封,本多家と交替した。天保7年松平周防守康任が老中の任にあるとき,仙石騒動や浜田藩の密貿易事件(会津屋八右衛門の竹島事件)の発覚があり,康任が老中を退き隠居慎みとなったのに伴い,嗣子康爵は陸奥棚倉(たなくら)へ転封となり,後期松平周防家は4代67年で終わり,代わって上野(こうずけ)館林から親藩の松平右近将監斉厚が6万1,000石で浜田へ入封した。右近将監家は慶応2年7月第2次長州戦争に敗れ,藩主松平右近将監武聡は美作(みまさか)国久米北条へ移り鶴田(たずた)藩をたてた。ここに古田・松平周防守・本多中務大輔・松平周防守・松平右近将監家と交替した浜田藩は248年間で廃藩。松平周防家の江戸城の詰所は帝鑑之間,松平右近将監家は大広間(諸侯の部/吹塵録)。浜田藩の領域は初代古田家が石見銀山領のうち5万442石余を給されたが,その後貞享2年邑智(おおち)郡のうち八色石(やいろいし)・原・伏谷・比敷(ひじき)・村之郷・宮内・布施の7か村約2,000石が上地され,美濃(みの)・鹿足(かのあし)郡の津茂(つも)5か所6か村が宝暦9年より銀山領となった。松平周防守康福が老中職在任中の天明5年1万石加増となり,石見国では銀山領のうち大貫・畑田・上津井・都治本郷(つちほんごう)・浅利・渡津(わたづ)・郷田・長良・下河戸・上河戸・八神・太田の12か村と津茂・日原・中木屋・石ケ谷・十王堂(じゆうおうどう)・畑ケ迫(はたがさこ)の津茂6か村3,074石余が給された。寛政4年康福は信濃の地で1万石が与えられたため旧銀山領の村は再び銀山領へ戻された。天保7年の松平周防守御所替に当たり,邑智郡の34か村1万596石余が上地されたが,天保13年松平右近将監家のとき浜田藩へ復帰した。このように藩の領域にたびたびの変遷があったが,右近将監家時代6万1,000石余となる。そのうち石見国では那賀(なか)郡76か村2万4,316石余,邑智郡46か村1万9,266石余,美濃郡49か村1万4,370石余,総計171か村5万7,953石余である(天保郷帳)。城地は元和5年古田重治によって浜田亀山に定められ,6年2月着工9年6月竣工した。城下町は原井村を母体とし紺屋町・新町・蛭子(えびす)町・片庭(かたにわ)町・門ケ辻(かどがつじ)町・檜物屋(ひものや)町・辻町・原町の浜田八町が中心である。浜田藩の地方(じかた)は領内を原井組(那賀郡33か村)・跡市(あといち)組(那賀郡25か村邑智郡11か村)・市木組(邑智郡9か村)・出羽(いずわ)組(邑智郡26か村)・三隅(みすみ)組(那賀郡18か村美濃郡7か村)・益田(ますだ)組(美濃郡26か村)・匹見(ひきみ)組(美濃郡16か村)の7組に編成し,匹見組を除く6組に代官所を置いた。代官所所在の村は原井村・跡市村・市木村・出羽村・岡崎(三隅)村・益田村である。代官所は天保7年引きあげられた。各組には大庄屋に相当する割元を置いて組内の掌握に当たらせた。浜田藩の検地は松平周防守康映によって承応2年から明暦4年にかけて大規模に行われ,石高増と年貢徴収の強化をはかった。年貢徴収は寛文12年から定免制を採用し,さらに元禄9年から春定(はるぎめ)制を実施した(跡市村・南川上村・矢上村年貢免状)。春定制は過去10か年の平均損耗率をもって「春定用捨引」をしたが,享保元年春定制を停止したことから起こったのが「春定用捨訴願」騒動である。享保3年から再び春定制が回復した。浜田藩の主な産物は農産物のほか砂鉄・銑・畳表・陶器・瓦・和紙・干鰯(ほしか)・海藻類などがあげられるが,和紙は正租として徴収され,大坂市場でも石州半紙として知られた藩の大きな財源である。幕末期長州征伐の議が起こると親藩浜田は長州に対する第一線となった。慶応2年第2次長州戦争に際して浜田藩は,紀伊・福山・松江・鳥取藩とともに長州進攻に当たったが,6月16日益田の戦に敗れ7月16から17日にかけて福山・紀伊藩の敗走により遂に浜田藩の運命は決し,7月18日浜田城の炎上,藩主松平武聡の脱出によって浜田藩は崩壊した。落城後の藩地は長州軍の軍政下に置かれたが,慶応3年12月王政復古がなり旧浜田藩は旧幕領とともに長州藩預りとなる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7180771 |