100辞書・辞典一括検索

JLogos

36

目貫村
【めぬきむら】


旧国名:隠岐

(近世)江戸期~明治7年の村名。隠岐(おき)国周吉(すき)郡のうち。江戸期は幕府領松江藩預り地,貞享4年~享保5年は幕府領大森代官所支配地。元和年間に西郷東分といわれた地域から分かれて目貫村となる。地名の由来について「隠州視聴合紀」は,生け捕りにした鯨を縄で大木につないだところ,その樹木を根元から引き抜いて逃げ去ったので,土地の人々が根抜きと称したのが後に目貫と称するようになったと記すが不詳。「隠州記」には「慶長年中迄,矢尾(やび),目貫,護国寺,此三ケ村壱ケ村也,西郷東分ト号ス,元和年中に矢尾,目貫,別々ニ分ル故,田畑入交山海差別なし」とある。貞享5年の村高は75石余,うち田方5町7反余で66石余,畑方6反余で8石余,ほかに新田畑1石余。家数86・人口501,牛10・馬2(隠州記)。天保年間の村高は87石余(天保郷帳)。半農半漁の村,西廻り海運の開発以来,西郷湾の中心部に位置することから帆船寄港の根拠地となり,海産物問屋・旅宿が軒を並べ西郷港の中心街を形成。物産にタイ・イカ・アワビ・サバ・ワカメなど。スルメは長崎・下関・瀬戸内などに移出。明治元年の家数118・人口946,牛5・馬3(隠岐国村鑑帳)。寺社に浄土宗慶谷山善谷寺・泙浦大明神・弁財天がある。明治4年島根県,同年鳥取県に所属。同7年西郷港町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7181586