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牛窓港
【うしまどこう】


邑久(おく)郡牛窓町にある県管理港湾。牛窓半島の南面にあり,その前面に前島を主島とする牛窓諸島があり,古くから良港として知られた。港は牛窓瀬戸を隔てた前島への渡し場付近で東西に分かれている。この渡し場付近には延宝年間築造の牛窓灯籠跡があり,明治初年までは灯台の役割を果たしていた。西港が牛窓港の中心地である通称関町(牛窓)沿岸で,その西南に百間波止あるいは一文字波止と呼ばれる防波堤がある。実測774mの石積み堤防で,元禄8年に藩主池田綱政が津田永忠に命じて築造させたもので,これにより東南の風が吹いても停泊可能となった。牛窓港には神功皇后三韓東征の折の寄港伝説があり,柿本人麻呂,西行法師などもこの地に足跡をとどめている。遣唐使・遣明使の船も寄港しており,中世では室津・鞆・尾道などと並ぶ重要港で,豊臣秀吉は朝鮮出兵のとき牛窓の協力を求めている。江戸期には,西国大名の参勤交代の際の寄港地・宿泊地であり,将軍の上使などの長崎下向のときの寄港には岡山藩の応対の地であった。寛永13年以後朝鮮通信使一行の寄航地となり,将軍のかわるたびに来日,牛窓に8回寄港した。一行は朝鮮からの文化・外交使節団で400~500名の多数で,岡山藩は多数の船を動員して送迎し,港内は大小の船で埋まった。明治期以後も帆船・機帆船・汽船の寄港が多く,大正7年より岡山との間に定期航路が開かれた。牛窓港船舶出入総数・総トン数は昭和36年以降急激に減少している。陸上輸送の発達によるもので,現在では内海航行の要衝の地という存在意義を失っている。狭い道路沿いには現在でも港町の風情を残す古い町家が軒を並べている。牛窓港はまた漁港で,小型定置網・小型底引き・一本釣りなどが行われている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7182371