尾張
【おわり】

旧国名:備前
吉井川下流左岸に広がる千町平野に位置する。地名の由来については,日本武尊の弟の末裔とされる尾張連の一族が居住した所という伝承にちなむ説(上代の吉備),城稲荷大明神の縁起に淳和天皇の代,田原藤太夫によって大沼であったこの付近が開墾されたことにより墾(おわり)あるいは小治(おわり)となったという説がある。地内には貝塚が多く,助三畑・堂免など隣接地にある門田遺跡の一連の複合貝塚で,弥生時代から古代・中世の生活様式を知るうえで重要な石器・土器・集落跡・井戸・墓など多数が発掘されている。付近の水田地帯に条里制の遺構が見られる。
【尾張郷(古代)】 奈良期~平安期に見える郷名。
【尾張保(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える保名。
【尾張村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【尾張(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7182822 |





