上斎原村
【かみさいばらそん】

旧国名:美作
吉井川最上流域,中国山地脊梁部の南面に位置する。地名の由来は,村を開いた時大穴牟遅(大国主)之命を斎(いつき)祭ったことによるという(中国山地の村)。近年恩原遺跡で発見された先土器時代の石器は,東日本形式の流れをくむため注目されている。貞和3年6月24日の刑部守延坊舎等譲状(広峰文書/兵庫県史史料編中世2)によると,刑部守延の美作国内の所領の1つに「サイ原」と見え,また天正元年と推定される10月13日の小早川隆景書状写(萩藩閥閲録)に「至奥津・才原一勢可被打出候」と見え,当時西美作に拠っていた毛利・小早川勢が当地へ勢力を伸ばそうとしていたことが分かる。
【上斎原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上斎原村(近代)】 明治22年~現在の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7183075 |





