細工町
【さいくのちょう】

旧国名:備前
(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は津山城下の1町,町人地。明治22年津山町,昭和4年からは津山市の町名。津山城の西に位置する。東は下紺屋町,西と北は田町,南は上紺屋町に接する。東西に長く道路の片側のみで家は北に面する。町名の由来は,木工芸(木匠)の職人町として成立したことによるという(津山誌)。元禄10年の城下町図によれば,家数24うち持家21・借家3,人数295(男156・女139)。津山家数役付惣町竪横関貫橋改帳によれば,大工職が8軒あり,ほかに作事家(作人)が4軒ある。安政3年の津山藩士分限帳によると,「四十五俵作事家業瀬島杢平」の名がある。同じ作事家業に西村・小倉・水島など4人の名が見えるが,瀬島は寛政年間以後は世襲になって田町にいた。当町にはこれらの棟梁の下で大工仕事をする職人が多く,のちには町内に有力な棟梁が住んだ。はじめ城の作事に関係し,田町との関係で士邸御用も多かったという。明治初期の戸数29・人口108(同前)。明治期以後大工関係は減少,宝来家など古い家屋の形を残しているものがある。世帯数・人口は,昭和45年32・106,同55年34・77。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7183863 |





