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佐良山
【さらやま】


久米の佐良山ともいい,皿山とも書く。津山市南部にある山。旧久米郡佐良山村内に位置する。どの山かについては古来諸説があり定かでない。一般には,佐良三山と称される3つの山のいずれかか,あるいは三山の総称であるともいう。佐良三山とは,JR津山線皿山駅の東方約1kmにある笹山(300m),旧佐良山村の西端で吉井川南岸にある嵯峨山(288.8m),およびJR津山口駅の南にそびえる神南備(かんなべ)山(356.2m)をいう。三山ともに中生代末に選出した角礫質の流紋岩からなり,西方の吉備高原から断続的に連なる中起伏の山地(久米高原山地)の北端近くにある。古来歌枕の山として広く知られ,「久米郡誌」には古歌として,「逢ぬ夜も数は恨みしさもあらば久米のさら山さらにまたみむ」(伊勢),「水の上に塵のうきみの流れ来てけふ美作の久米のさら山」(三十七世他阿)や,俳諧の「いつはあれことさら山の初時雨」(紹巴)などが収められている。承久3年後鳥羽上皇が隠岐へ配流の途上,現在の県立津山高校内にある十六夜(いざよい)山より佐良山を望み「音にきく久米のさら山さらさらにおのが名たててふるあられかな」と詠んでいる。また元弘の乱に敗れた後醍醐天皇も隠岐配流の道で佐良山山麓を過ぎる際「ききおきし久米のさら山越え行かんみちとはかねて思ひやはせじ」と詠んでいる。後醍醐天皇の通った道は,現在の津山市瓜生原南方で吉井川を渡り,荒神川をさかのぼって神南備山南の種に至り,種川を下る道程であったといわれているが,その分水界にあたる地点が駐輦の跡とされ,後醍醐天皇の歌碑が建てられている。この道は久米の佐良山越えと称し,古官道だといわれる。明治末年乃木稀典将軍が院庄作楽神社に参拝した際には,名にしおう久米の佐良山に登りたいと希望したが,案内者たちが三山それぞれを主張したため登山を断念したとの挿話もある。同じ頃,神南備山麓の長法寺(津山市井ノ口)を訪れた歌人薄田泣菫は「公孫樹下に立ちて」の中で,当山のことに触れている。また当山周辺は多数の古墳の群集する地としても知られている。神南備山は北に面して津山盆地を見下ろす絶好の位置にあり,現在は西麓の皿と,北麓の井ノ口から自動車道が通り,その眺望を楽しむ観光地でもある。神並山とも書き,神祇を祀ったところだという。幕末の備前出身の歌人平賀元義はその著「山陽道名所考」の中で,「真の久米の佐良山は佐良神の鎮座する神南備山なる事,上件に引く美作風土記・神名抄,又増鏡・太平記の文にても知られ,山の形を見ても知られたるものをや」と記している。昭和54年この山の登山道口の皿に,貞観元年の大嘗祭の奏歌「美作や久米の佐良山さらさらにわが名は立てじ万代までに」の歌碑が建てられたが,その位置は三山とも見える場所が慎重に選ばれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7184054