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下津井四ケ浦
【しもついしかうら】


倉敷市下津井,児島半島南端にある港町・漁港。下津井とは下の津という意味(児島郡誌)で,北西にある宇野津浜を上の津というのと対比される。西の灯籠崎(西の崎)から東の久須美鼻の間は浄山をはじめ3つの小岬によって5つの入江が形成され,西から下津井・吹上・田之浦の集落が約2kmにわたって家並みを連ね,細長いので中世にはこれを長浜村とも呼んだ。それに東へ回って名勝鷲羽山の北麓の大畠を加えて,古くは下津井四ケ浦または単に四ケ浦といった。この四ケ浦のうち,下津井と吹上は商業的要素も多いが共通することは,かつて漁業によって支えられる人口が全体の過半数を占めていたことで,四ケ浦の漁民たちは対外的には一体となって他領の支配者と入漁交渉に当たったことである。漁獲はタイ・タコ・チヌ・メバル・イカナゴなど珍味のものが多いが,内部的には四ケ浦それぞれ漁具・漁法にも違いがあった。田之浦のタコ釣り,大畠は打瀬網,下津井の高室(こうむろ),古下津井ではバッシャ網(ばっさりとるの訛りからきた)などで,現在も漁獲高が激減したとはいえ,観光釣船に転身するなど海に生きる生活が続いている。民謡下津井節で歌われる下津井湊をもつ下津井村は慶長8年,池田長政が3万2,000石を受けて城主となり,城の大改築を行い現在の遺構にみる石垣などを完成させた。「吉備温故秘録」に「下津井村,海辺,町並。船着掛共善し……商家多く米穀其外の問屋多し。四季共漁猟す。鯛網の元をす云々」とあり,「吹上,商ひを業とするもの多し……田之浦,四季とも漁猟を業とす,大畠,此村漁猟を専して,四季共有」などとある。この田之浦に瀬戸大橋の橋脚が建ち変容をみせている。中世末には瀬戸内海航路は児島の南側に移り,下津井へ寄港の船舶は急速に増えた。延宝年間西崎に灯籠堂ができ,寛政年間になると北前船の出入りで下津井は大いに繁盛した。北国のニシン粕やコンブと,児島の塩は相互の代表的取引商品であった。下津井はほぼ10里ごとに位置する大きい港として室の津・牛窓・鞆などの港と肩を並べていた。下津井港はまた四国への渡海場,金毘羅参詣の起点としてもにぎわい,歓楽街もあり,最盛期には100人を超える遊女もいたという。下津井と吹上の境をなす岬,浄山には祇園神社が祀られ,古くから海上安全の守護神として船頭や船主らの篤い信仰を集めた。檜皮葺きの簡素な本殿,豪壮な拝殿を構えている。その突端は下津井砲台跡。絵馬殿には岡山藩主池田斎政寄進と伝えられる唐破風屋根の御座船の模型(市文化財)の奉納がある。この繁栄の下津井の町も明治23年,山陽鉄道の開通,その後の陸運の発達,蒸気船の出現などで低迷したが,今日まで岡山・倉敷との交流でパイプ役を果たしたのは,大正2年茶屋町~味野間に,翌年味野~下津井間に敷設された下津井軽便鉄道(現下津井電鉄)である。現在その下電も電車部は味野~下津井間の6.5kmのみとなっている。この下電下津井駅のある位置は塩田跡地であり,そばに木里神社,西の灯籠崎は江戸期灯明台が置かれたところで,下津井砲台跡地でもある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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