下二ケ山手
【しもにかやまて】

旧国名:美作
旭川支流の誕生寺川に注ぐ全間(またま)川左岸に位置する。吉備高原の緩斜面の地。地内大植には永禄年間・元亀年間頃沼元某の在城した大植城があり,大西には全間の蓮華寺城に立てこもった難波氏の居宅として知られている難波屋敷があり,大西構と呼ばれていた。
【下二ケ山手村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下二ケ山手(近代)】 明治22年~昭和29年の神目村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7184278 |





