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下船尾村
【しもふなおむら】


旧国名:備中

(近世)江戸期~明治8年の村名。備中国浅口郡のうち。高梁(たかはし)川下流右岸に位置する。寛文年間に船尾村が上船尾村と当村に分村して成立したと思われる。正保~寛文年間の干拓地が中心。はじめ松山藩領,元禄6年幕府領,同15年からは丹波亀山藩(亀岡藩)領。村高は,「備中至宝記」2,369石余,「天保郷帳」2,394石余,「備中村鑑」2,369石余,「旧高旧領」2,394石余。天保8年の家数380うち高持196・無高184,人数1,687うち男880・女807,弘化3年の家数423・人数1,724,うち男943・女781。明治3年の家数440・人数1,760,うち男960・女800(船穂町誌)。氏神である川添神社は松山藩主水谷氏の干拓後に建立し,文化5年以降の記録が残る。亀岡県,深津県を経て,明治5年小田県に所属。同6年船穂小学,中新田分教場が設置されたがのち廃止。同8年船穂村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7184298