下横野
【しもよこの】

旧国名:美作
津山盆地北部の第三紀層からなる丘陵上に位置する。西は宮川支流横野川に境され,東は宮川支流後川の上流域である。北端掛(懸)縄山には応仁年間の古城跡があり,池上砦とも称して,小貝・小森の2人の武将が居城したという。永禄年間頃から前原氏が居城。その南西麓植田には,小貝・小森支配の時代に民家が多数集まり,寺も6坊あって植田千軒と称して栄えたという。金光山多聞寺は貞観2年慈覚大師が清和天皇の勅を奉じて,最初高倉村内に建立し,美作国内68か寺の根本道場としたと伝え,戦国末期にこの地に再建された。
【下横野村(近世)】 江戸期の村名。
【下横野村(近代)】 明治5~22年の村名。
【下横野(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7184347 |





