大安寺
【だいあんじ】

旧国名:備前
笹ケ瀬川が西から北へ曲流して砂川を合流するあたり,笹ケ瀬川左岸の平地に位置する。地名の由来はかつて奈良大安寺領の荘園であったことによる。古くは入海の北縁部で,河川の沖積作用により次第に陸地化した。大野小学校北方の山は魚見山と呼ばれ,昔,山上から魚群を見張った場所という。天平19年2月11日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(寧遺中)には大安寺領の1つとして「御野郡五十町・長江葦原・東丹比真人墾田・西津高堺江・南海・北石木山之限」とあり,この長江原は当地に比定される。大きな花崗岩に彫り出された「松山長昌寺応永十年四月廿四始」「同十九年首夏十三幹縁長昌上人記」の銘をもつ延命地蔵の磨崖仏がある。
【大安寺荘(中世)】 鎌倉期に見える荘園名。
【大安寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大安寺(近代)】 明治22年~昭和49年の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7184644 |





