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坪井町
【つぼいまち】


旧国名:美作

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は津山城下の1町,町人地。明治22年津山町,昭和4年からは津山市の町名。津山城の西に位置する。東は三丁目,西は宮脇町,南は福渡町,北は上紺屋町に接する。森氏初期は城下町の西端で,町名の由来は,「津山誌」によれば,西方の坪井宿(現久米町坪井下)を経て来た者がはじめて当町に入ったことによるという。町内に津山本陣がある。塩屋を号した三船家が,元和元年に本陣となり,明治期まで続いた。脇本陣は向かいの高田家で一文字屋。これは出雲松平氏の参勤交代が中心であったが,明治期には,山陰道鎮撫使の西園寺公望も宿泊している。旅館業・製造業・店舗があり,津山足袋の製造業者が多いのが特徴。名田屋という芝居用貸衣装屋が美作地方の素人芝居を支えていたという。元禄10年の城下町図によれば,家数は35軒うち持家32・借家3,人数361(男191・女170)。高森神社という町内神があり,文政4年伏見稲荷を勧請したもので,高砂屋金四郎という人の屋敷神であったものを町内が受け継いだ。明治24年新社殿を造営したとき高守神社と改めた。明治初期の戸数51・人口216(津山誌)。妹尾銀行があった。明治35年設立の二十六銀行を真庭郡落合町の妹尾与志夫が譲り受け普通銀行とし,同45年妹尾銀行となって,大正13年第一合同銀行に吸収された。銀行はその後も町内に続くが,これは当時の坪井町の盛況を示している。明治初年,第2区会議所が設置され,新聞縦覧所もあり,商業は繁盛し紅灯のもと夜市も立った。明治34年津山で最初の誓文払いが行われた。大正12年国鉄津山駅が大谷で開業し,以後津山市街の商業の中心は西部から中央部に移行し始めた。西部の各町と新しい津山駅を直結するため南方の吉井川に当町の今井寿恵の寄付により今井橋が竣工した。以後人々の流れが駅前から今津屋橋方面に集まることを防げなかったが,昭和10年代には津山銀座と称し昭和27年他町に先がけて土曜夜市も始められた。世帯数・人口は,昭和45年89・269,同55年68・210。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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