南窪木村
【みなみくぼきむら】

旧国名:備中
(近世)江戸期~明治7年の村名。備中国賀陽郡のうち。総社平野東部に位置する。寛政年間頃窪木村が北窪木・南窪木・大文字の3か村に分村して成立したものと思われる。足守藩領。村高は,「天保郷帳」には古くは窪木村のうちとあり493石余,「備中村鑑」484石余,「旧高旧領」493石余。なお,貞享2年の窪木村のうち当村域分の村高505石余,家数39・人数175(男93・女82),氏神は八幡宮,寺院は真言宗常光坊(現在は廃寺)と宝永7年東林山善福寺と改称して現在は廃寺の中坊がある(足守藩寺社改帳)。当村は松山街道筋の農村で,用水は十二箇郷用水路の大溝の支流によっている。足守県,深津県を経て,明治5年小田県に所属。同7年窪木村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7186789 |





