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金屋町
【きんやちょう】


旧国名:安芸

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は安芸国安芸郡段原村のうちに形成された町。もとの茅屋町。享保18年には当町から出火し,付近の町家990竈を焼失。また明和3年にも出火,町家197軒388竈を焼失する。この一帯は火災が頻発した地で,防災を願って寛政9年町名を金屋町と改称した。「知新集」によれば家数160,竈数338(本竈160・借竈178),人数643。地内には拝領家11軒があり,うち9軒は享保14年建設,特別技能あるものを住居させた(広島市史)。真宗西派専立寺は広島開府の時高田郡吉田から移転。浄土宗浄念寺・真宗東派法正寺・法華宗妙詠寺は比治山町南方の金屋町地方,浄土宗長安寺は当町東側の後金屋町(田中町)と呼ばれた地にある。明治7年小学校生鞠舎が設立され,翌8年の生徒数657・教員数5。同11年広島区,同22年広島市の町名となる。明治15年段原村から分離し一町となり,一部が比治山町となる。大正元年広島駅前と市中心部を結ぶ広島電気(現広島電鉄)の市内電車が町の中央部を東西に横切って開通。第2次大戦後京橋川に稲荷大橋が架橋され,この電車通りは京橋筋に替わる東西幹線となった。大正6年の戸数364・人口1,277。昭和26年の世帯数178・人口672。同40年一部が京橋町・的場町1~2丁目・稲荷町となり,桐木町・段原大畑町・比治山町・的場町の各一部を編入し,松川町と境界変更。同55年南区の町名となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7188642