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草津漁港
【くさつぎょこう】


広島市西区にある漁港。県管理の第3種漁港(第3種漁港は県下唯一)。かつては太田川放水路の右岸の沖合いの延長と,八幡川河口の沖への延長に囲まれた海面が漁業区域であったが,昭和46年12月からの埋立てにより,当港域は埋立地の沖合いに移動した。そして,草津本町や草津浜町にあった草津漁港も埋め立てられて,西部開発地の一角に沖出しして建設整備が進んでいる。放水路右岸の先端部に漁業施設用地を含む港の工事を行い,長さ200m,深さ7mの岸壁,長さ400m,深さ3mの岸壁,沖合いに2か所の出入口をもつ波止を建設。付近は-6~-8mの水深である。当港の歴史は16世紀後半草津浦の児玉氏が毛利氏の依頼で石山合戦の最中に兵糧を運び込んだことや,イワシ網漁の記録も残る。17世紀に三次藩,18世紀は浜田藩の東上の港として使用された。17世紀頃からカキの養殖,18世紀頃からノリの養殖が行われたが,干潟や入江をもつ草津の性格を反映したもので,港の形成に大きな影響を与えたようである。さらに港としての性格を強めたものは,カキ船の創始と発展であったとみられる。「広島太田川デルタの漁業史」第2集によれば,江戸初期に草津浦の小西屋五郎八らが近くの港に売りに出,延宝元年には大坂にカキ船を出したようで,寛保3年には仁保島の14隻の大坂営業を認めて草津カキ仲間株に入れ,草津カキ船も21隻に増加している。この傾向は明治にも受け継がれていく。ところで,草津沖の浅海面は広島市西部再開発用地に生まれ変わり,草津港横の県水産試験場も昭和42年に安芸郡音戸町波多見に移転した。昭和57年,登録漁船は86隻,457総t,146漁業経営体。陸揚量2万5,743t(昭和54年2万8,665t,55年2万5,513t,56年2万8,665t)の内訳は,カキ1万5,206t,ブリ2,310t,タイ1,246t,イカ類834t,アジ828t,サバ732t,アナゴ478t,タコ440t,エビ類418t,サザエ315t,ナマコ165t,カレイ97t,アサリ91t,グチ66tなどで,広島市中央卸市場との関係で扱高が多い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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