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倉橋漁港
【くらはしぎょこう】


安芸郡倉橋町,倉橋島の南岸の港。県管理の第2種漁港。島の西端大向鼻と南端鹿島を結ぶ線から北の広い海域を指す。倉橋(本浦)港を中心に西の獺郷・須川・西宇土・大向の港,東の尾立・室尾・海越の港,南の鹿老渡・鹿島の港を含む。狭義には本浦港を指す。古くから内海航路の要衝で,新羅の使節は生活物資の補充や船の修理で立ち寄っている。神功皇后の朝鮮出兵伝説,豊臣秀吉の朝鮮出兵の軍船もここで建造されたという。江戸期には内海第一の造船地であった。文政年間,船大工の親方が35人いたという記録がそれを示す。また,元治年間には西洋型の船を造ったともいわれ,本浦の東,桂ケ浜にはわが国最古の洋式ドック跡が残っている。昭和30~40年代に木造船から鋼船に変わったが,木造船所も残っている。航路は呉・広島へ通じていたが,昭和36年音戸大橋が架かり,その後の道路整備により直通バスが運行すると廃止された。鹿老渡は倉橋島の最南端にある。昔,韓の使節がよく停泊したといい,鹿老渡の地名は,韓泊(からとまり)の転化ともいう。江戸期になって瀬戸内海を北前船が航行するようになると,沖乗り航路の港町として栄えた。その後も帆船時代は西の上関,東の御手洗とともに風待ち・潮待ちの機能をもった寄港地としてにぎわった。昭和50年,西の鹿島との間に鹿島大橋が架けられた。交通の便がよくなると都市からの釣客が増え,観光漁業も盛んになった。倉橋島漁協と倉橋西部漁協に属し,昭和57年の登録漁船は532隻(県下1位),1,730総t,漁業経営体は282。陸揚量1万427t(昭和54年9,459t,55年8,140t,56年8,151t)の内訳は,カキ7,716t,シラス991t,イワシ673t,エビ類192t,カレイ120t,メバル83t,ナマコ40t,タイ51tなど。出荷先は県外18%,地区外の県内60%。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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