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国道
【こくどう】


 国道2号 瀬戸内海に沿って大阪市と北九州市(門司)を結ぶ国道。延長671.4km。本県では東は福山市から途中三原市―東広島市―広島市などの都市を結び,大竹市から山口県に入る。大阪~北九州間の多くの都市を連絡すると同時に,山陰や四国,東九州や国道3号(門司―熊本―鹿児島)などとの連絡にも中心的な存在となっている。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,24時間の平均交通量は福山市~大竹市間171.3km(平均車道幅員9.6m)で2万7,747台となっている。岡山県~山口県における国道2号での最多交通量の地は広島市内の中心部で,1日7万~8万台であり,許容量を突破しているため都市部でバイパスなどの工事が続けられ有料道路(阪神高速・第2神明など)の開設,計画が進む。 国道31号 安芸郡海田町から広島市安芸区~安芸郡坂町を経て呉市本通2丁目(四ツ道路)を結ぶ国道。延長23.4km。この国道の起こりは,呉軍港の存在から,大正9年国道32号(東京―海田市―呉)に指定されたことに始まる。昭和27年1級国道31号になり,さらに同40年一般国道となる。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,24時間の平均交通量は2万786台であるが,呉市西本通3丁目では2万6,803台となり,安芸区矢野町や呉市天応町の2万1,200台前後よりもかなり高い。なお,昭和49年5月道路公団の広島呉道路の一部(仁保~坂インターチェンジ間3.4km)が開通した。また,交通量の緩和を目標に広島呉道路の一部として天応~呉の工事計画がある。明治23年呉鎮守府開庁後,内陸部を通過する矢野―焼山―神山(じんやま)峠―長ノ木のルート(旧国道)が重視されたが,日清・日露戦争を通じて軍港拡大によって明治43年川原石港が閉鎖され民間船は吉浦入港を余儀なくされた。このことから海岸埋立てを含む吉浦道路の計画が大正14年になって漸く供用を開始することになった。昭和14年海岸経由の現在の国道(当時は32号)が開通し,同17年国鉄バス安芸線が広島と呉を結んで営業を始めた。さらに,昭和22年港町から吉浦へ続く魚見山隧道(全長860m・幅員6.5m)が竣工して現在に至っている。 国道54号 広島市中区から三次(みよし)市を経て島根県松江市に至る国道。延長157.8km。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,広島市~双三郡布野村間93.2km(平均幅員8.3m)で,24時間の平均交通量は1万4,074台となっており,島根県側の赤来町~松江市間(64.6km)は平均幅員6.6mで,交通量は5,504台となっている。当国道は昭和37年1級国道の指定を受け,当時としては県内で国道2号・31号に次ぐ3本目の1級国道であった。昭和40年に一般国道となり現在に至っている。広島市役所前の大手町4丁目で国道2号と分かれ(起点)北上し,紙屋町―十日市―横川を経て可部に向かう。江戸期の広島からの雲石路のルートに当たる。可部までは浜田路・石見銀山路を兼ね,三次までは備中新見路を兼ねる重要な路線で安佐郡のみならず,山県郡や高田郡にわたる地理的,歴史的中心地でもあった。現在は広島市街地の都市化がすすみ,広島連絡の重要なルートであるが,さらに中国自動車道との連絡道にもなっている。広島~古市間付近は1日6万台の交通量で,日祝日を除いて朝夕のラッシュ時には4車線のうち片側を3車線にする全国でも珍しいシステムを採用している。可部付近では1日3万台であるが,太田川橋(2車線)の渋帯を解消するため,昭和55年12月に新太田川橋が完成,在来のものは広島方面専用であったが,可部方面専用となった。中世,毛利氏と熊谷氏の抗争の境界でもあった上根の断層崖付近は約70mの高低差があり,明治23年自動車交通にも対応できる道路となり,昭和18年の新改良で現状となったが,同49年から上根バイパスが着工された。完成の暁には3度目の改築となる。沿道には江の川水系水量調節の土師(はじ)ダムや,吉田町の毛利氏の故地郡山城址,宍戸氏の五竜城跡と甲立城跡などがあり,三次市では粟屋側に三次バイパスが通るが,旧道の三次市山家には水飲場の跡も残る一里塚(寛永10年)も残り,また布野村横谷は山代巴の「荷車の歌」の舞台。昭和39年島根県との間に赤名トンネルが開設された。 国道182号 岡山県新見市から福山市に至る国道。新見市新見から本県に入り,比婆郡東城町から東城川に沿って南下し,神石(じんせき)郡油木町―同郡三和町―福山市―深安郡神辺(かんなべ)町を経て,再び福山市に入り,入舟町で国道2号に合流する。延長93.3km。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,24時間の平均交通量は,岡山県側の新見市~哲西町間(平均幅員5.6m)で3,028台,本県側の福山市~東城町間(平均幅員6.9m)は6,662台となっている。本県側の場合,昼間12時間の交通量5,351台の内訳は乗用車類58.6%,貨物車類41.4%の割合になっている。また,昭和53年中国自動車道の岡山県北房~三次(みよし)市間が供用を開始した結果,大阪方面からの帝釈峡への観光客が東城インターチェンジを利用して訪れるようになった。油木町は街村として,神石牛の取引でも栄えたところ。芦田川斜面に下る途中に名工市右衛門の姫谷焼窯跡(福山市)が昭和11年に発掘され,色絵磁器は貴重品となっている。 国道183号 広島市―三次(みよし)市―庄原市を経て,比婆郡西城町道後山の西で鳥取県に入り,日南町から米子市に至る国道。延長173.8km。昭和40年一般国道に指定。広島~三次市間は国道54号と,日野川沿いは国道181号と併用。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,併用区間外の三次市~比婆郡西城町では平均幅員6.5m,24時間の平均交通量は3,983台となっている。古く,広島からの備中新見路の道筋で,庄原で分かれ西城川筋を上り,在郷の商業地西城から備後落合駅を経て,道後山の西の鞍部を過ぎ鳥取県に入る。三次~尾道の国道184号と分かれて東行して庄原市に入る。沿道の南は「三次風土記の丘」で記念館とともに多くの古墳が残り,山ノ内の衝上断層が北に,七塚原の農業研修地域が南にあり古い商業地の三日市を過ぎ,原で備後塩の取引をしたために名を残したともいう原を経て庄原市に通じている。西城盆地の中心の西城を過ぎれば天磐戸説につながる熊野神社や県民の森への入口があり,スキーの道後山も近い。なお,当道を広島から大山行のスキーバスもよく利用する。 国道184号 島根県松江市から尾道市に至る国道。松江市を起点にして,宍道(島根県)~三次(みよし)間は国道54号と併用,三次から馬洗川に沿って世羅台地へ上り,尾道市西御所町を終点とする延長151.8km。昭和40年一般国道の指定を受けた。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,三次市~尾道市間において,平均幅員5.7m,24時間の平均交通量は5,192台となっている。三次から尾道へ,ほぼ12~15kmごとに三良坂,吉舎(きさ),甲山,市などの市場町があり,尾道街道の名があり,尾道からはかつて銀山道や出雲街道などの名で呼ばれた。三次から三良坂へ馬洗川に川舟があり,田総(たぶさ)(総領町)や双三郡三和(みわ)町方面への分岐点である。また,出雲大社の備後分院があり,菊栽培が盛んな地。三良坂~寄国間には町による代替バスが走る。三次盆地東端の三良坂町から南へ吉舎町へと続き,世羅台地へ上り,御調町から尾道市へと下っている。 国道185号 呉市から三原市に至る国道。国道31号の終点呉市本通2丁目から芸南沿岸を東へたどり,豊田郡の安浦町―安芸津町―竹原市を経て三原市皆実町で国道2号に連絡する。延長69.4km。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,平均車道幅員7.9m,24時間の平均交通量は1万1,426台となっている。しかし呉市付近は呉越4万台,広2万台と高数値で,いずれも許容量を超える。また,竹原市内の8,000台,三原市内の終点付近で1万台,農村部では6,000台前後となっている。当国道は,大正10年呉海軍工廠広支廠の開設に伴い国道の呉広道路建設が具体化したことに始まる。昭和9年には仁方まで延長された。昭和40年一般国道185号となり,全面的な改良が行われ,竹原市街地でも4車線の近代的な道路になった。呉市広町から内陸の東広島市方面へ分岐する国道375号,竹原市から約8kmで国道2号に至る県道などと連絡する。また,竹原市からの中国・四国フェリー(竹原市~愛媛県波方町間28km,60分)の発着,忠海―大久野島―井ノ口(愛媛県大三島)連絡などのほか,阿賀・仁方~堀江(愛媛県松山市)や安芸津町・竹原市から大崎上島・大崎下島連絡のフェリーなどがあり,広島―松山―高知連絡の重要なルートにもなっている。 国道186号 島根県江津市から大竹市に至る国道。江津市から浜田市までは国道9号と併用し,波佐(はざ)から本県に入り,山県郡の芸北町―戸河内町―加計町―筒賀村―佐伯郡の吉和村―佐伯町を経て大竹市を終点とする。延長178.9km。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,24時間の平均交通量は島根県金城町~浜田市間29.0km(平均車道幅員5.9m)で4,397台,芸北町~大竹市間116.4km(平均車道幅員5.3m)で1,425台となっている。大竹市から県境の木野川を上部へ山口県側の弥栄(やさか)まで川舟が通じたのは明治10年で,それも本郷(佐伯町浅原)への里道完成(大正13年)や小瀬川第2発電所による水位低下などで姿を消したという。弥栄より上流部約3kmは弥栄峡・芸防峡と呼ばれる古生層の奇岩深淵があり,さらに,玖島川との合流点付近の甌穴蛇喰磐を後に北上すると小瀬川ダムやサイドパーク,総合運動場や山荘がある。佐伯町浅原から栗栖,吉和村を経て筒賀村から加計町に入る。太田川と支流滝山川の合流点付近は一本流しから筏の組立てをしたところで,北向して温井(ぬくい)があり,滝山峡や支流の雄鹿原川峡谷が続く。王泊ダム(仙水湖)は既設の堰堤を第2次大戦後嵩上げしたことでも有名で,芸北町から波佐へ通ずる一帯はスキー場として有名であり,マイカーやスキーバスが訪れる。中国自動車道とは吉和インターチェンジで接続する。 国道191号 下関市から広島市中区に至る国道。下関市竹崎町から国鉄山陰本線沿いに長門―萩―益田の各市を経由して,匹見川河谷から本県山県郡芸北町八幡高原に入り,同郡戸河内町松原から南下して同郡加計町―広島市安佐北区―安佐南区に入り太田川に並走したのち,広島市中区大手町4丁目に至る。延長304.7km。昭和40年下関~益田間が一般国道に指定され,同44年12月広島への延長が認められた。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,24時間の平均交通量は下関市~山口県田万川町間(平均車道幅員6.9m)で6,075台,益田市~島根県匹見町間(平均車道幅員5.2m)で,3,055台,戸河内町~広島市間(平均車道幅員5.6m)で3,295台となっている。広島~可部間は国道54号と,可部~安佐町飯室(いむろ)間は国道261号と重なる。当国道の道筋の先鞭は川舟によってつくられ,明治末期の道路改修と馬車交通,大正期の自動車の進出があった。戸河内町土居は上部からの一本流しを筏に組み立てる地点で,同町本郷から北へ太田川支流の板ケ谷川を上り,松原からさらに中国山地部を西進すれば,西中国山地国定公園の展望地深入山があり,三段峡上部の樽床ダム(聖湖)に至る。ダムの西を北上して虫送峠から急坂を島根県に入る。 国道261号 広島市中区から島根県江津市に至る国道。広島市中区を起点に,同市安佐南区―安佐北区―山県郡千代田町―大朝町を経て中三坂峠で島根県に入り石見町と進み,江の川河口部の江津を終点とする。延長98.1km。昭和37年1級国道に指定されたが,同40年一般国道となり,現在に至る。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,広島市~山県郡大朝町間(平均車道幅員5.4m)では,24時間の平均交通量3,497台となっている。当路線は中区の市役所前で国道2号から分岐するが,可部までは国道54号・191号と併用し,安佐北区の飯室(いむろ)の古市までは同191号の併用が続く。鈴張川河谷から明神峠(430m)を越えると千代田町本地(旧駅所)で,本地川と志路原(しじはら)川の合流点付近の有田から北へ進み,吉川元春最後の居城の地火野山麓の中山(広島―可部―本地と結ぶ駅所の延長)を下って大朝町新庄で浜田街道と分かれて,中三坂峠にかかる。 国道313号 鳥取県倉吉市から福山市入船町に至る国道。倉吉市から南下して中国山脈を越え,岡山県を経て本県の深安郡神辺(かんなべ)町に入り,入船町に至る。延長174.0km。昭和44年一般国道の指定を受けた。福山~神辺間は福山から神石(じんせき)郡を北上する国道182号(福山~新見)や国道314号(福山~木次)と併用する。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,平均幅員7.2mの神辺町内で24時間の平均交通量は1万2,062台である。福山から神辺へ通ずる主な道筋は2本あって,いずれも国道182号であるが,1本は両備軽便鉄道の経路であり,他は東寄りに第2次大戦後バイパスとして建設された道筋である。神辺で高屋川の河谷を東行すれば国分寺跡と伝える下御領の国分寺の集落があり,県境を越えれば岡山県高屋町となる。 国道314号 福山市から島根県木次町に至る国道。福山市から北へ神石(じんせき)郡を通り,比婆郡東城町を経てほぼ国鉄芸備線に沿って北西へ備後落合駅(西城町)へ向かい,中国山地を越える国鉄木次線沿いに木次町に至り,国道54号と接続する。延長161.4km。昭和44年に一般国道の指定を受けた。途中の福山~東城間は国道182号福山~新見間と併用する。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,東城町~西城町間は平均車道幅員3.7m,24時間の平均交通量3,122台となっている。福山から神石高原を通り幼年期の河谷の東城川を上れば,東城市街の川西地区では甌穴がみられ,当路線は北西へなお東城川沿いを上る。芸備線備後八幡駅付近からは松ケ峠・槙ケ峠を経て森地区を北上し,狐峠を下って小奴可(おぬか)駅に至る。周辺は古く奴可郡の中心といい,奴可部の地名も残り,現在国道183号が鳥取県側の多里へと通じている。西進して西城町に入り,備後落合駅前を通り木次線沿いに北上して島根県境を越えると,かつて広島県域であった三井野原があり,下横田川河谷を経て木次町に至る。 国道317号 愛媛県今治市から芸予諸島の島々を経,尾道市に至る国道。今治市を起点に,愛媛県の大島―伯方(はかた)島―大三島を経て,さらに本県の生口島(瀬戸田町)―因島(因島市)―向島(向島町・尾道市)と進み,尾道大橋で本土側の国道2号に接続する。延長112.7km。昭和44年一般国道に指定された。昭和54年に大三島橋(大三島~伯方島間)が併用され,因島大橋(向島~因島間)が工事中である。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,因島市~向島町間では平均車道幅員6.8m,24時間の平均交通量は4,130台である。向島へは,尾道水道を挟んで5ルートの渡船があり,市街地東部と向島東部向東町を結ぶ尾道大橋の併用があってもいぜんとして利用度が高い。同大橋における昭和53年の1日平均交通量は1万5,440台で,広島呉道路の1万2,632台よりも多い。瀬戸内架橋構想で,尾道~今治ルートは地域開発としての性格をもつが,昭和43年には架橋完成より一足早く両市は姉妹都市縁組を結んだ。 国道375号 呉市から島根県大田市に至る国道。呉市広町を通る国道185号から分岐して北へ東広島市西条町―賀茂郡豊栄町―双三郡三和(みわ)町―三次(みよし)市を経て,さらに江の川沿いに通じ,国鉄三江線柏淵(かすぶち)駅(島根県邑智(おうち)町)の経路から山越えして,大田市に至り国道9号に接続する。延長169.1km。昭和49年一般国道に指定された。昭和52年の路線別県別交通量表(建設省)によれば,呉市~双三郡作木村間の平均車道幅員は4.5m,24時間の平均交通量は3,396台,昼間12時間平均交通量は2,836台となっている。広町の市街地では昭和47年に広バイパスが完成し(4車線のうち2車線は防衛庁,他は呉市負担),市道末広石内線となったが,同49年11月の政令指定後50年から県土木管理の国道375号となった。 国道432号 竹原市竹原町を起点とし,松江市を終点とする一般国道。昭和56年指定。中国山地を南北に横断する路線。実延長209.6km。沼田川流域の賀茂郡河内町,芦田川上流域の世羅郡の世羅町~甲山町を経て陰陽分水界を越え,江の川上流域の甲奴郡上下町~庄原市を経由し島根県仁多町に入る。起点の竹原市で国道185号から分かれ,同市内で国道2号,甲山町で国道184号,庄原市で国道183号とそれぞれ交差する。 国道433号 大竹市北栄を起点とし,三次(みよし)市山家町を終点とする一般国道。昭和56年指定。瀬戸内沿岸を走る大竹~廿日市間は国道2号と重複。対岸には宮島がある。廿日市市から県西部を北上し,太田川流域の山県郡加計町,江の川上流域の同郡千代田町を経て東に向かい,江の川本流に面した双三郡作木村に出,川沿いをさかのぼって三次に至る。実延長104.9km。加計で国道191号,千代田で国道261号,作木~三次間で国道375号とそれぞれ重複する。 国道434号 山口県徳山市を起点とし,三次(みよし)市山家町を終点とする一般国道。昭和57年指定。中国山地沿いを東西に走る路線で,主な経由地は佐伯郡吉和村―山県郡加計町―同郡千代田町―双三郡作木村。山口県境の吉和村・佐伯郡佐伯町と太田川沿いの加計の2か所を除いて国道186号・433号・375号と重複するため,実延長60.8kmのうち県内部分はわずか2.9kmにすぎない。




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「角川日本地名大辞典」
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