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中郡道
【なかごおりみち】


三篠川筋の中世の呼称。広島城築城に関して,天正17年の毛利輝元の書状には中郡道と併せて「深川(ふかわ)温品(ぬくしな)道」や,深川佐東連絡の整備を述べており,三篠川筋では主として向原~三田(旧高田郡三田村)の通路であったようである。この北東~南西の断層河谷は,向原の谷中分水嶺を越えて戸島川筋につながるが,中世は前高田と呼ばれた。毛利氏が広島に本拠を移して以降は中筋往還として吉田や内陸部と広島を結ぶ重要ルートになった。米の経済を支える内陸部へ広島から深く入る主なルートはほぼ3本あり,この中筋往還を挟んで北には現在の国道54号に沿う道,南には海田―志和―乃美(現在の豊栄町)―世羅郡一帯という道筋があったようである。中筋往還は温品・馬木を経由する広島~吉田の最短コースであり,また,三篠川上流から直ちに三次(みよし)へ結ぶものであった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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