二河井手
【にこういで】

下井手と上井手からなる。呉市市街地北西部の二河川より取水していた農業用水路。江戸期は荘山田村の地で,現在の呉市の市街地を流れていた。荘山田村の農業用水源として,北部の灰ケ峰から呉湾へ流下する堺川と村の北西部から同じく呉湾へ流下する二河川があった。荘山田村の水田はこの両河川に挟まれたデルタ地帯にあった。しかし堺川の水量は乏しく,一方二河川は川床が低くて取水が困難であった。享保9年,荘山田村庄屋新左衛門の指揮の下,硬い岩盤を掘削しつつ二河滝から急崖状の山腹を巡る約6kmの水路が,58日間かかって完成。新左衛門はその4年後の享保13年春に65歳で没した。新左衛門の後を継いで庄屋となった九右衛門は,前任者の遺志を継いで,享保16年,前回の水路よりも約50m高位置に新たな水路を築くこととした。工期4か月をかけて約4.2kmの水路が完成。前者の水路は下井手といい,二河滝の下,現在の鉄管橋を下流から渡った地点で取水し,ここから井手守明神,市営プールの上方,辰川町の竜王社の石灯籠の傍らを通っている。後者は上井手といい,下井手の上方を平行に流れ,畝原町・長ノ木町に至る。呉市の明治中期以降の急速な市街地化によって,今日,両井手とも廃絶。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7190155 |