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白島村
【はくしまむら】


旧国名:安芸

(近世)江戸期~明治15年の村名。安芸国沼田郡(もと佐東郡)と安芸郡(もと安南郡)のうち。太田川河口の三角州に位置する。地名の由来は,「知新集」に「箱島ハ,白島の古名にして,広島の土地往古海中なりし時も,此あたりのミは神代よりの一山箱の如く方なりける故」とある。両郡の境は正観寺南の小路,同寺と宝勝院の間の小路とし,これより北西一本木あたりは安芸郡,南・東側は沼田郡に属す。また一説には城北川を境とするともいう(知新集)。当村のうち沼田郡に属す部分を西白島村,安芸郡に属す部分を東白島村という。広島藩領。村高は,元和5年「知行帳」では佐東郡箱島村84石余,安南郡はく島村33石余,「芸藩通志」138石余,「旧高旧領」では沼田郡白島村75石余,安芸郡白島村60石余。江戸初期の城下町建設に伴い,当村の南端は早くから城下町に編入され,中通組に属す東白島町・西白島町が成立した。なお当村地内に成立した町は,毛利氏時代の城下絵図(新修広島市史)では「箱島,侍町有之」と見え,元和5年の城下絵図では「東箱島町」,寛政10年の城下侍屋敷絵図(新修広島市史)では「ヒガシハクシマ」「ミヤウフウシヤウシ(妙風小路)」「エンコウシシヤウシ(円光寺小路)」「マツハラウラドウリ(松原裏通)」「ニシ一バン(西一番)丁」「ニシナカノ(西中ノ)丁」「ハクシマ中ノ(白島中ノ)丁」「ヒカシ一バン(東一番)丁」「クケン(九軒町)丁」「イツホンキナカノ(一本木中ノ)丁」「ヲンム(御馬)丁」「ハクシマニシマチ」が見える。「知新集」によれば,当村の戸数138・竈数276(本竈108・借竈168)・人数1,028うち大工11・染物師7・桶屋6・茅葺3・傘釣灯張2,白神下社人・本道医・鍼医各1。当村には徐々に町場が形成され,北端は一本木,京橋川に面した東部は九軒町,外濠に面した南部は薬師の町と呼ばれた。同書では一本木は白島村とは別に戸数62・竈数62(本竈33・借竈29)・人数326うち茅葺4,鍼医・桶屋・染物師各1とある。当地では洪水の被害から城郭中枢部を守るため,福島氏時代城北川の両端をせき止めて外濠とし,また本川・京橋川対岸より堤防を高くし,非常時には対岸の堤を破壊して城郭を守るいわゆる水越しの方策を採った(新修広島市史)。元和3年の大洪水後,福島正則が人柱の代わりに名剣8本を堤に埋め,決壊防止を祈るため九軒町に八剣大明神を建立したと伝える。また一本木の両夜躍りの行事も洪水に備えて里人に堤を踏み固めさせたことに端を発するという。寛文4年一本木に架設された神田橋は洪水時流失する恐れから九軒町に移設(知新集)。対岸牛田村の浅野家菩提寺日通寺へ通ずる橋で,城下の橋としては両国街道・可部街道および堀川の橋を除けば唯一のもの。薬師の町は享保14年の白島大火ののち,城中に火災が及ぶのを防ぐため野畑とされたが,文政年間頃から再び武家屋敷地となった。九軒町の火縄屋は浅野氏に随従して紀伊国より移住し,初代長四郎以来歴代の御用職人。屋根屋庄兵衛は代々茅葺を業とした。一本木の茶屋九助は質貸を営み,勘定所御用聞を勤めた(同前)。寛政2年一本木から対岸の牛田村へ二股川常船渡を開始(事蹟緒鑑)。江戸末期までには地内に一本木中ノ町・一本木厩町・百軒多門・碇ノ町・東中ノ町・本中ノ町・西中町・西土手下町・松原裏町・松原町の武家屋敷地が成立し,いずれも白島と総称する町場化した。寺院は真言宗宝勝院・光明院・正観寺(現安芸郡府中町)・薬師院(現中区南観音町),浄土宗禿翁寺・心行寺。正観寺は霊亀元年の創建と伝える。神社は八剣大明神・碇神社。碇神社は安芸国神名帳に見える箱(筥)島明神に比定され,宝勝寺の鎮守で沼田郡白島村の氏神。なお安芸郡白島村の氏神は牛田村八幡宮(知新集)。明治4年広島県,同11年広島区に所属。同15年白島東中町・白島九軒町・白島北町・西白島町・東白島町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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